はじめまして、りんごです🍎

【はじめまして、りんごです🍎】

 

”徒然なるままに、自由に”

 

ほぼ生きづらさのはけ口として綴っていくつもりですが、

他者からの反応があると嬉しいです。

 

(5歳から書道を続けていて、19歳の3月に師範を取得しました。

なので、たまに字を書くことがあるかもしれません。)

 

現在、日本の大学に通う3年生でミュンヘン工科大学に交換留学しています


【大学生】ミュンヘン工科大学でのとある1日。【ドイツ留学】#Vlogmas🎄#Day3

 

 

というわけで、

初めましてなので自己紹介をしてみようかと思います

 

しかし、私はこの「自己紹介」が苦手です

 

自己理解が浅いのでしょうか

 

昔から自分を多く語らない性格でした、たぶん。

 

好奇心に加えてチャレンジ精神も旺盛で、0.1秒のやりたいに忠実に熱量を注いできた、

そんな幼小中高時代だったな、と振り返って思うわけです

 

 

でも、大学生になってそんな生き方に迷いが生じてきたのです

 

大学入学当時の目標は、1年間で知り合い1000人増やすこと。

 

当時は、SNSが浸透してきた頃で周りの子達は高校生のうちからTwitterにガシガシ画像を載っけてる子もいたのですが、まあ如何せん真面目な性格とでもいましょうか、いい子ちゃんとでも言いましょうか、当時私の行動指針は青春の充実を心の底では羨ましいなと思いながらも、学校や習い事の先生や大人に気に入られることが優っていましたので、卒業までSNSとやらには無縁だったわけです。

 

それが卒業と同時に解放され、自分の個人情報をネットに晒す怖さと葛藤しながらも、進学先の情報がFacebookのグループで更新されるとのことで登録が義務になったわけです。

 

まあ、それはそれは私の視野が拓けたわけです

 

これまでは、地方の学生をやってきて勉強そこそこに書道に没入し、九州では私のことを誰もが知るくらいには結果を残してきた。

 

そこになんの迷いもなかったわけです

 

(なぜ私はこんなにも書道に夢中になっているのだろう)

 

(書道でなぜ一番になりたいのだろう)

 

(なぜ展覧会であの子に負けたくないのだろう)

 

(私にとって書道とは何なのか)

 

ここで私は、没入すること、夢中になることの怖さを知ってしまったわけです

 

 

大学生にもなると、いろんな人がいました。いろんな人に出会いました。

いろんな生き方があることを知り、いろんな選択肢があることを知りました。

 

話が行き当たりばったりで申し訳ないのですが、

 

まあ初めましての自己紹介をしまくったわけです、大学一年生の頃の私。

 

なぜだろう、知らず知らずのうちに

 

「 私は宇宙が好きです。」

 

この一文が定型化されていました。

 

今振り返ってもよく分かりません

 

でも、このおかげで自分に#宇宙というタグ付けがされたわけです

 

そういうわけで、私の元には#宇宙と名のつきそうなイベントや話が舞い込んで来るようになったわけです

 

当時の私はよく同期から、そんなに人に会いまくってアイツは生き急いでいるなんて言われていました。(言われていたらしい)

 

人に話すことで宇宙と自分の関係について問われることが増え、その度に自分にとって宇宙とは何なのか、初めて考えるようになりました

 

その度に意味付けも変わってきました

 

(宇宙の話をすると長くなるので、また別のブログで書きたいと思います)

 

そういうわけで、今まで自覚もしなかった閉じられた世界で生きてきた私の高校までの時代から、一気に世界が広がったわけです

 

 

ここで私は他人の影響を受けやすいということ、異様に感受性が強すぎること、人の評価を気にすること、を考慮せずに人に会いまくった結果、多分自分を見失いました。

 

おそらく自分が何者になりたくて、足掻いていたのだと思います

 

でも、この現象はカリキュラムのない独自の問いを設定して全学部の授業を組み立てるという稀な学部環境では、一度は通る道だと先輩から聞いていました。

 

それが、形が違えど自分にも訪れたわけです

 

しかし、結局何者にもなれないのだと悟ります

 

 

そうすると少し気が楽になったような気がするのですが、最近それはそれで不利益だということも悟ります

 

大学3年生の秋から1年間交換留学を今しているわけですが、同期は就活真っ只中なわけです。自分もボスキャリなんかに行ったりして、片足突っ込んでるような状態にいるわけですが、自分を何者であるか伝えるスキルはある程度必要だということ。

 

また、ビジネスの世界に置いて何者かもわからない人間に仕事を任せられないということ。そして信頼関係を築きにくいということ。

 

なんていうことを少しずつ肌で実感しながら、言わずと知れた自己分析ってなんだかんだ必要なんだなあ、となんとなく思うわけです

 

と言いつつ、自己分析ってとってもエネルギーがいるということを私は既に大学一年生の夏に知っています

 

(これは当時、外向性の塊だった私が内向性を60%くらいまで高めた日米学生会議という名の国際交流プログラムの影響なのですが、まあこれもいつかブログで紹介できたらいいなと思うわけです)

 

そういうわけで大学3年生にもなり年末を控え、そろそろこの世での生き延び方を真面目に考えなくちゃいけない、この待ってくれないこの時期に私はまた自分に迷子しているわけです

 

留学して2ヶ月、意外と自分て環境適応能力ないんだなあとか思いながら、

 

自己理解が浅い上に感受性が強すぎる私という人間が、急激に新たな人間関係を必死に構築しようと人に会いまくる現象を経ると、このようになるわけです

 

迷子。

 

でも、これは一種の自分を再構築する機会だとも捉えることができるわけです

 

人間関係を色に例えるなら、自分は今、あらゆる他者や外国の空気、建物、刺激を受けまくったそれらが混ざり合うような混ざり合わないような、虹色のような暗黒のような、調和しそうでしていない、でも調和しているような、そんなグラデーションを一挙に抱えてしまっている状態なわけです

 

(↑ここの頭の中にあるイメージをもうちょっと言葉にする努力を割きたいところですが)

 

まあ

結局、自分と他者は一線の線引きで区切ることなどできないということです

 

「自分は、自分。他人は他人。」

 

考え方としては、とても有りだと思います

 

自分を生きやすくしてくれる考え方なら、率先して取り入れた方がいいです

 

でも、これはあくまで自分を生きやすい方向に持っていくための考え方であって、事実ではないわけです

 

私はおそらく今、真っ白なパレットなんです

 

いや、でもそれはただの一元的な真っ白なパレットじゃなくて層になっている、そんな感覚。その真っ白なパレットが新たな刺激や出会いによって色づいていく感覚。混ざり合っていく感覚。その流動性は時に激しく、時に勢いを止めて留まって、私が消化しきれていないまだ私じゃない状態なのに如何にも”私”であるかのような振る舞いをしてる、そんな状態がきっと、今もう一度感じている、「自分に迷子」という感覚なのかもしれない。

 

ここでおそらく、生き方を学んできた大人はいうのだろう

 

自分の軸を持つことが大事と。

 

確かにそうかもしれない、などとふと思ってしまう。

 

私はこのグラデーションで再び色づいたパレットから、新たな自分を再構築し、その層になった奥底にある自分の声に耳を傾ける

 

一度色づいた絵の具は消せないけれど、自分の心を描いていく、そんな感覚を味わえるのはきっと、人に出会っているから。新しい環境で挑戦しているから。

 

そんな風に思ったら、少し気持ちも軽くなるわけです

 

 

よく自分の周りの5人が自分を作るとあるけれど、要はどの絵の具を組み合わせて自分という人間を更新していくかということなのだろう

 

あくまで自分的解釈だけど。

 

ただそれはそれで、決して単色ではなくって混ざりきってない色が共存している人もいるかもしれないし、真っ白に見える表層の色の奥底には黒があるかもしれないし、人間の数だけ人生があって、唯一無二の辿ってきたものがあるからそれは自然なこと。

 

これがきっと、その人にしかない色なのかもしれない。

個性と言い換えられるものなのかもしれない。

 

未来を描いていくというより、自分の内側を描いていく感覚。

 

自己紹介は変わってもいい

 

自己紹介が簡単にできない時こそ、自分の声を聞く時なのかもしれない

 

 

すごくエネルギーがいることだけど、

この2ヶ月間の環境や人間関係の変化によって自分のパレットにどんな変化が起きたのか、今どんなグラデーションで、どんな色が存在しているのか

 

見つめて、耳を傾けて、

 

そんな2019年の締めくくりにしたいなと、思うわけです

 

 

気づいたら3600字近く綴っていたわけですが

最後まで見てくださった人がいれば、ありがとうございます

 

 

ではまた明日。

2019.12.15.Münchenより

 

https://www.instagram.com/p/B5xRMTyI4Kk/

Instagram post by AIRI🇯🇵 • Dec 7, 2019 at 11:38am UTC

自分に素直になれない

自分に素直になれない。


文章を一つ書くにしても、小っ恥ずかしいような誰かにジャッジされているような、そんな心情になる。


この日本語おかしくないかな、とか、この文章の主語述語おかしくないかな、とか、そんなことを1人でに考えてしまう。


それは職業病ともいえるかもしれないし、実際一年そこら業種を経験しただけで、自分の文章を客観的に見る視点が出来てる証拠だから、それはそれで成長なのかもしれないが、、



でも私はもっと、自由に文章を書いていたはずなのだ


誰に見せるわけでもなく、自分のために


たまにどっと感情が溢れ出る瞬間がある



でも、その感情を言葉にしてしまうには惜しすぎる


どうにかしてこれを創作物に昇華させたい


昇華させなければ私の心が持たないから


そうやって形を与えてあげることで、

自分の感じた感情には意味が生じる


だから、自分を表現できるスキルがあるって

とってもありがたいことなのだ。


そういう意味で、私はよく書道に救われている


形にしなくとも、一般的にはストレス発散になるのだろうか


意外に思われるかもしれないが、

実はダンスも大好きだ


10年以上続ける唯一の居場所だった


どんなに自分を出さなくても、ダンスがあれば舞台で輝ける自分が好きだった


自分が自分に自由である瞬間、そして日ごろの自分に対するイメージとは逆の自分の違う面を見て、というそんな気持ちだった。


自分を解放する喜びへの快楽を知ってしまったので、私はおそらく舞台に立つ自分をいつも思い描いている。


自分が輝ける方法を知っているのに、

なぜ私はここに留まっているのだろう。


友達の言葉が頭をよぎる。


「なんでここに留まってるの」


そう、羽ばたきたいんだ、羽ばたきたい症状はじわじわでてきている。


平日はフルタイムで働いて、休日は違う土地に出かける


どうして休んだはずなのに、体が疲れているのか


いやそりゃそうだろ、

全然休んでないじゃん笑


本当のところの自分はインドアだ、たぶん


一日動画をみてぼーっと過ごすことで

全然楽しめるし休日無駄にしたなんて思わないし

何より心が回復する


ま、つらつらつらつら書いてるのはバスが22分発のつもりできたら、42分発だったからなんだけど


こんなに書いてもまだ、待ち時間が12分ある


時間もてあましてるなー



今日は夜勤で誕生日を迎えることになりそうだ


たまにあるこの朝起きたら、気持ちが憂鬱になってるこれってもうどうしようもないのか、、?



誰か救済方法教えてくれ



あー文章能力下がったな、少しずつリハビリしていく


書は人なりっていうけど、文も人なり


自分にぜーんぜん素直になれてない


困ったね




深夜の、どうしようもない独り言🍏

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Instagram post by AIRI🇯🇵 • Dec 29, 2019 at 12:39pm UTC

 

 

私いま、泣いてる。

 

理由はわからないんだけどね、でも心が泣きたい気分だったみたい。

(大人になると、泣き方を忘れるってどっかで聞いたな)

 

 

 

理性ではどうしようもなくて、

 

 

もう無我夢中で泣いてたの。

 

 

何だろう、自分のことを抱きしめてあげたい。

 

 

そんな不思議な感覚だった。

 

 

私ね、あんまり音楽とか聞いたりしないの

 

だから、好きな音楽なに?って聞かれて

 

あんまり音楽聞かないんだよね~というと

 

ものすごく驚かれる

 

みんなAirPods?とかもはや生活の必需品

 

みたいだけど、

 

 

音楽に救われたとか

 

 

この音楽を聴くとあの頃の思い出とか記憶が蘇る

 

 

なんてこともないわけで

 

 

あまりに驚かれるから

 

 

人生損してるのかな?とか

 

 

 

音楽も人とコミュニケーションを卒なくとるためには

 

 

 

教養としてやっぱり聴くべきなのかな

 

 

とかも思ったりはするんだけど

 

 

そういうわけにもいかなくて

 

 

 

でも、なんかね、不思議なことに

 

 

そんな私がふと音楽を聴きたいっていう気分に

 

 

 

なったんだよね。

 

 

すごく不思議だった。

(大抵は音楽のクリエイターに嫉妬するから素直に聞けない)

 

 

 

それでね、ふと思ったの。

 

 

私、辛い時、何に救われてたんだろうって

 

 

 

YouTubeが大好きでよく見るんだけど

 

 

コメント欄に

 

 

「壁を乗り越えた人って強いよね」

 

 

みたいなコメントがあって

 

 

ああ確かに私もそれなりに壁あったなあ

 

 

とか思って

 

 

じゃあそういう時どうやって乗り越えたの?

 

 

って単純に疑問に思った

 

 

音楽に頼ったわけでもないし、今でこそYouTubeはよく見るけど、

 

 

見始めたのはちょうど多分1年前とかそこらへんだったから

 

 

ざっと

 

小中高で身近な喪失体験を3回経験したり

 

 

身近な人が心の病で苦しんでいるのをみたり

 

 

どうしようもなくて

 

 

そのひとの一番の理解者であるべき人に

 

 

どうにかしてわかってもらおうとしたけど無理で、

 

 

ああ人間ってそんなもんかとか思ったりして

 

 

人と人との繋がりって修復できないんだな

 

 

ってその不可逆性に割と失望したりしながら、

 

 

ここまで生きて来れてしまったんだよね

 

 

私、何に心救われたんだろう

 

 

何が心の拠り所だったんだろう

 

 

冠婚葬祭で学校を休むことはあったけど

 

 

それ以外で休むことはなかったし、

 

 

その気持ちを公に引きずることもしなかったし

 

 

友達に相談することも多分しなかった。

 

 

ある時、確か祖母が亡くなったばかりのとき

 

 

高校の授業中かな

 

 

蕁麻疹がひどくでて

 

 

その時だって親にこれ以上負担かけるわけにはいかないと思って

 

 

親に連絡がいくことを拒んだ

 

 

まあ結局父が学校まで迎えに来てくれたんだけどね

 

 

 

でも、もしかして私

 

 

気付いちゃったのかも。

 

 

元気なふりするのうまいんだなってことにね。もう術として染み付いちゃったなあって。

 

 

 

まあでもさ、みんないろんなもの抱えながら

 

 

生きてるわけだから

 

 

別に自分が悲劇のヒロインぶるつもりは微塵もないんだけど

 

 

それでもこういう話って

 

 

自分よりもっと苦労して来た人を思い浮かべちゃったりして

 

 

ああ、ぜんぜん自分たいしたことないじゃん

 

 

って思って恵まれてるなってことに感謝しなきゃなって

 

 

いい子ぶったりするんだけど

 

 

 

でもそれって

 

 

全然自分の痛みに向き合えてないんだよね

 

 

全然私の痛み、満たされてない。

 

 

 

もしかして、

 

 

私がずっと見ないうちに

 

 

壁を乗り越えるっていうより

 

 

壁が通り過ぎたって感じなのかな

 

 

どうなんだろう

 

 

私ってその壁を乗り越えることができたのだろうか

 

 

でもね、

 

 

こうも思うの

 

 

壁を乗り越えることってそんなに大事なことなのかなって

 

 

壁を避けたって壁から逃げたって

 

 

いいんじゃない?って

 

 

身の危険を感じたら逃げる

 

 

それってごくごく自然なことな気がするの

 

 

甘えてるのかな

 

 

 

留学に来てから

 

 

いろんな人や価値観に出会って

 

 

正直ぐちゃぐちゃなんだよね、今

 

 

 

思うように頑張れてない自分にも

 

 

葛藤するし

 

 

何が正解なんてわからないし

 

 

これまで一途に思い続けて来たことに

 

 

興味がなくなって来てるのも

 

 

受け入れられないし、

 

 

生きづらいっていう感覚

 

 

ヨーロッパに来たら少しは解消されるかなって

 

 

だいぶ期待してたんだけど

 

 

 

むしろ逆で

 

 

 

自分の生きづらさと向き合うことが増えたのかも

 

 

 

 

話を戻して、私って辛い時どうしてたんだろうって

 

 

思うんだけどね、

 

 

多分それが宇宙だったんだ、きっとね

 

 

見上げたら、その顔があるって

 

 

私のことちゃんと空から見てくれてるって

 

 

多分信じたかった

 

 

もう会えないんだけどね。

 

 

 

だから私は空を追いかけた。

 

 

 

祖父を亡くした小学校5年生のときからずっと。

 

 

 

そうして空が私にとって音楽的役割とか癒しをもたらしてくれる居場所になった。

 

 

 

 

だから、宇宙が開発されるのはすごく心が痛んだ。今も痛む。

 

 

 

1人の力じゃどうしようもないんだけど。

 

 

だけど、これだけはちゃんと心に留めておきたい。

 

 

私がどうしようもなく辛かった時、

 

 

いつも話を聞いてくれた存在があったこと。

 

 

それだけでも幸せなことだよね。

 

 

私がそんなに背負う必要はないって

 

 

きっぱりと断言してくれた時、

 

 

 

何だか気持ちが軽くなったのを覚えてる。

 

 

 

口下手で誤解を招きやすくて

 

 

あまり自分から話すの得意じゃないけど

 

 

それを察知してそっとお菓子をくれたり

 

 

そんな優しさをもらったり

 

 

環境が変わっても、出会う人が変わっても、

 

 

私をユニークだと認めてくれる人が

 

 

1人や2人いるだけでも救われた。

 

 

今も救われてる。

 

 

おかげで私は私らしさを見失わずに今を生きて居られる。

 

 

だからとても感謝している。

 

 

 

最近感覚的に自分が大きなストーリーに統合されていきそうで

 

 

 

怖い。

 

 

 

でもそうしているうちに取り残される不安も

 

 

同時に感じている。

 

 

 

最近自分を扱うの上手くなったと思ったんだけどなあ。

 

 

まだまだだな。

 

07.01.2020.München

 

 

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Instagram post by AIRI🇯🇵 • Jan 5, 2020 at 1:51pm UTC

 

 

 

お久しぶりです、りんごです🍏(2020年初投稿)

 りんごです。

 

 

あけましておめでとうございます

 


【理系】ドイツ、ミュンヘン工科大学に留学するリケジョ女子大学生のルーティーン【日常vlog】

 

 

お久しぶりの投稿になってしまいました。

 

 

まあサボっていたと言われればそれまでなのですが、

 

 

"徒然なるままに、自由に"

 

が、このブログのコンセプトでありますので、

 

 

更新が空いた事実に対して自分自身を過度に咎め、責め立てたりしようとは

 

 

思わなくてすむわけです。

 

 

 

とは言いつつも、これには自分なりの理由があります。

 

 

 

それは、自分にとって、

 

 

 

 

その時を、待つ

 

 

 

ための時間が必要だからです。

 

 

 

言葉を、”ねかせる”期間と置き換えてもいいかもしれません。

 

 

 

 

 

例えば、私がブログを毎日投稿しようと目標を立てたとして

 

 

 

半ば目的化した手段やTo doリストの一部に”化け”たタスクのように

 

 

 

ここに綴る言葉たちが水のように消費される気は微塵もないわけです

 

 

 

私にとって、言葉を公に晒す行為は、

 

 

 

私自身それらの言葉たちを受け入れる準備が必要なのです

 

 

 

言葉が溢れ出る焦燥感と責務にどうしようもなく駆られる

 

 

その時を待ち、

 

 

内側にある言葉を一旦外に出してあげた後は、

 

 

 

 

しばらく放置する。

 

 

 

 

そうして、しばらく経って

 

 

 

 

 

ああ、もうそろそろ言葉たちを解放させてあげてもいいかなって

 

 

 

 

 

思えるその時を待つ。

 

 

 

 

つまり、私が今思っていることと、

 

 

 

 

ここで綴られる言葉は

 

 

 

自ずと時差が生じるわけです。

 

 

 

 

 

これは、自分を認めてあげるとか愛してあげるとか

 

 

 

 

 

そんなプロセスなのかもしれないなとも思うわけです。

 

 

 

 

 

 

こうやって、自分の宇宙から溢れ出た言葉をありのままに

 

 

 

 

受け入れ、認めてあげる過程を

 

 

 

 

強制もせず、義務ともせず、

 

 

 

 

ただただ流れに身を任せ、投じることで

 

 

 

 

少しずつ自分を愛するということを学んでいるというわけです。

 

 

 

初投稿で、宇宙の不協和音的な渦巻きの胸の内を晒したのですが、

 

aoi-ringo1.hatenablog.jp

 

ようやく感覚的に板についたような気がしています。

 

 

 

 

今回の投稿で、もう解放させてあげてもいいなあ

 

 

と思える言葉たちがあったのですが

 

 

思いの外長くなってしまったので

 

 

それらは次回のブログで。

 

 

2020年は、ようやく1mmくらいは自分を解放してあげられる年になりそうです。

 

 

今年も、りんごをよろしくお願い申し上げます。

 

 

5.1.2020.München

 

https://www.instagram.com/p/B633AS8o7x0/

Instagram post by AIRI🇯🇵 • Jan 3, 2020 at 9:35pm UTC

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

タイトル無し

 

 

今は、フランスのストラスブールに向かうバスに乗っています

 

 

 

 

とても眠い。

 

 

 

現在ドイツ時刻で午前2時。

 

 

だからかな、珍しく言葉たちが溢れ出ない

 

 

もう、部屋に引きこもってないで

 

 

 

 

 

出て来てよ

 

 

 

今日は解放されたくないみたいね

 

 

 

 

そんな言葉たちの思いに

 

 

 

 

馳せた”ふり”して

 

 

 

 

 

おやすみ

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

あ、大学でもクリスマスマーケットやってて

 

 

 

 

今日は授業の後、グルーワインとソーセージを堪能しましたとさ

 

 

 

 

 

 

日本じゃ考えられないよね

 

 

 

 

 

 

 

今度こそほんとの、おやすみ

 

 

 

 

 

 

2019.12.18.München

 

 

 

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Instagram post by AIRI🇯🇵 • Dec 20, 2019 at 2:17pm UTC

 

 

 

 

 

閉じ込めておくはずだった、2019年10月16日の綴り🍏

はじめに

 

ここに綴るブログは、

留学前にFacebookで投稿するはずだった言葉たち。

 

お世話になった方に報告すべきだと思いながら、

「投稿ボタンひとつポチって押すだけじゃない?」

と言われながら、当時の私はそのポチっが出来なかった。

 

留学が始まって2ヶ月あまり。

そろそろ言葉たちを解放させてあげても良いかなって

 

私が留学前、どんな心境だったのか

 

晒してみようと思うわけです。

 

 

 

( 以下引用 )-----------------------------------------------------------------------------------------------------

 

 

【これから一年間、ミュンヘン工科大学で留学してきますというご報告🍻

 

(これから拠点がヨーロッパになるので、#宇宙#芸術がつきそうなもの、世界中のイベントやワークショップ、インターンシップ、ボランティア等の情報共有していただけると嬉しいです)

 

 

(以下、胸の内を) (文章の乱雑さが、逆に生々しいのでこのままに)

 

 

1.  留学した理由とそれに至るまで

 

 大学に入学した。

 

たくさんの出会いがあった。

 

自分で掴みに行った出会いもあれば、そこで掴んだ出会いが繋げてくれた出会いもあって、たくさんの出会いを与えてくれた人もいた。

 

 

そんな出会いの中で、私は自分も当然のように留学するものだと思っていたし、

自分にはそれが到底簡単に乗り越えられるものだと当時は過信していた。

 

 

学内選考や奨学金選抜に向けて必死に準備している間はむしろ、それに集中できるありがたい環境だった。いざ、それらを手に入れると一気に視界が開けた。自分は何のために留学したいのか、この経験を通して何を得たいのか、なぜドイツなのか、なぜ工科大学なのか、色々わからなくなった。

 

 

初めからここを目指していたわけではないけれど、

何かに導かれて私は今、この選択の決断のスタート地点にようやく立てた。

 

 

 この決断に至るまで、留学課の多大”すぎる”サポートを始め、家族や親戚、友達、先輩、これを通して新たにできた繋がり、それらに本当に支えられた。特に、留学課の方には、本当に頭が上がらない。精神的にも物理的にも継続的に長きにわたってサポートをいただいた。

 

 

そして何よりこれから新たな困難に直面するであろうが、私にとって留学準備だけでも得られる学びはたくさんあった。自分の力だけではどうしようもなくなった時、”助けて”と言えるコミュニティがあったこと、話を聞いてくれる友人がいたこと、どうにか解決に向けて自分のために時間と労力を割いて本気で動いてくださる方がいたこと、その環境がどれだけ恵まれているか、このことが単なる自分の挑戦ではない力強さのようなものを感じた。と同時に自分が出来ないことや無力な部分と、否応無しに対峙させられた。初めて心から自己嫌悪を味わった。そして、たくさんの人間のあたたかさをもらった。

 

 

このプロセスの中で、一度失敗してリベンジの末に掴んだが諦めたもの、それによってひょっとすると可能性を捨てたかもしれないことも、たくさんあった。それでも諦めきれなくて、そして自分の決断力の無さと無責任さでたくさんたくさん大人に心配をかけた。たくさんたくさん大人を振り回した。自分もいい大人なのに、学生という身分を盾にを振りかざして本当に多くの迷惑をかけた。それでもなお、感情に流されやすい「私」という人間と常に、時間と心を尽くし少しの厳しさと包み込まれた愛で、理性を持って真正面から、本気で、一学生の将来に、挑戦に向き合ってくれたこと。やり切れなさと悔しさと、それでも、留学をあきらめずに挑める環境には感謝しかない。

 

 

 

( 突然の回想シーン開始 )

 

 

 

確かに日本地図を模写していた小学校5年生のあの日、

私の好奇心は#宇宙に魅せられた。

 

 

自分のこの目で地球を確かめたい、その純粋な好奇心は何にも代え難く、ただ白くて青く、ただそれだけで飽和した。

 

 

溢れ出たそれは、いつだって私を宇宙に誘う原動力であったし、いつしか私は宇宙に守られていた。そして、山崎直子宇宙飛行士と目を見て会話したあの日、宇宙飛行士になりたいと父親の前で、カメラの前で、そう話していた。

 

 

 

確かに、宇宙飛行士に憧れた。宇宙飛行士という職業に。

 

 

 

でも、私のその憧れへの本質は何だろうとふと思った。

 

 

それは、まさに宇宙飛行士の生き様であった。

 

 

自分の専門性、強みを持ちながらひたむきに訓練に打ち込む姿勢、ミッションに果敢に挑む姿勢、言語習得への惜しまぬ努力、異なる分野や国籍を超えた人と協働するコミュニケーション力と人間力、そして自分の経験に基づくSNSや講演による発信、そして教育への貢献。

 

 

 

( 回想シーン終了 )

 

 

 

 

 

 

 

今、私は留学の軸を宇宙から芸術に切り替えた。

 

 

 

 

 

自分にとって宇宙はまさにそこにあるものであり、調和であり、流れであり、全てがそこに含まれる。だから、宇宙と芸術に境界を持たせることこそが、ナンセンスなのかもしれない。でも、いつかこの道が宇宙につながると信じて、自分の道に責任を持って、とりあえずはここで頑張ってみようと思う。自分という媒体を、美に受動的かつ主体的に受容できる環境に身を置けることほど幸せなものはない。一方で、航空宇宙工学という地に足をつけた学修環境で、将来を担うエンジニアとの繋がりをもつことができる環境もまた幸せである。

 

 

 

 

 

 

留学が何も特別じゃなくなっている今、留学ごときで、こんなにもつらつらという思いもありつつ、それでもなお私にとって確かな意味のあったこの時間と、この時間を意味あるものにしてくださった、かけがえのない多くの方に感謝して、これからひたむきに一生懸命に行ってきます。

 

 

 

 

 

 

 

まだまだあらゆることに対しても己に対して無知であるばかりに見えない部分も多いと思うが、自分が選んだ道、行動を通して一年後の自分の成長を魅せられるよう新たな地で、この経験を次のステップに繋げるために一年間頑張ってきます。

 

 

 

 

 

 

 

とその前に、来週から8日間ロシアに行ってきます💃

 

 

 

 

すでに帰国してから2ヶ月(当時)経ちました。 このメンバーに出会えて良かったと、文になると、どこか軽やかになってしまいがちなこの表現を、それでも敢えて使いたいと思えるほど本当に刺激的で素敵なメンバーに出会えたことは、私の人生の今後に彩りを与えることだろうし、私も与えられる存在になりたいと切に願っています。

 

 

 

https://www.instagram.com/p/B29mlPunxGk/

#ロシア宇宙飛行士記念博物館

 

https://www.instagram.com/p/B28Tui0n8lb/

Instagram post by AIRI🇯🇵 • Sep 28, 2019 at 4:58am UTC

#エルミタージュ美術館

 

 

 

2019.12.16.München

 

 


【理系】ドイツ、ミュンヘン工科大学に留学するリケジョ女子大学生のルーティーン【日常vlog】

 

今日心に響いた言葉を、添えて。

この〇〇って大事な言葉だった気がするけど、曖昧だ。

 

性格だったかな

 

とりあえず

 

無難に”生き方”でも当てはめておこうか

 

自分の生き方は

 

自分「が」守る

 

そのことに気づかせてくれた

 

人がいた

 

ありがとう

 

12.16.München

 

 

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Instagram post by AIRI🇯🇵 • May 27, 2019 at 5:22am UTC

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